「障がい者」カテゴリーアーカイブ

「障害者参加へ合理的配慮を」 れいわ・木村氏、初質疑

参院国土交通委員会で質問するれいわ新選組の木村英子議員(手前から2人目)。車いすに座り、秘書らの介助を受けた=5日午後
7月の参院選比例代表で初当選した重い障害のある木村英子議員(れいわ新選組)が5日、参院国土交通委員会で初の質疑に臨んだ。木村氏は脳性まひで体がほとんど動かせない。車いすに座り、秘書らの介助を受けながら「障害者が地域で生活するにはさまざまなバリアーがある。(障害者の社会参加に向けた)合理的配慮を進めるため質問したい」とはっきりした口調で抱負を述べた。
参院によると、障害のため車いすと介助者が必要な議員による質疑は初めて。国交委は公設秘書による質問代読を認めるほか、介助に要する時間は割り当ての質問時間に含めないといったルールを定めた。
木村氏は8月1日の参院本会議で初登院。同5日に国交委に出席したが、自ら発言する場面はなかった。れいわ新選組から同期当選し、難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患う船後靖彦参院議員は7日の文教科学委で初の質疑をする予定。〔共同〕
「合理的配慮」とはどのようなものか
働く人、個人個人の事情に合わせた「合理的配慮」とはどのようなものだろうか? 2016年4月施行の「障害者差別解消法」により、一人ひとりの困りごとに合わせた「合理的配慮」の提供が行政・事業者に義務化された。こうして、雇用者が働く人になすべき「合理的配慮」はまず、障害者雇用に際して行われることになった。
あるリハビリテーション科専門医は、多くの障害のある人の社会復帰に携わってきた。私の専門領域は、脳の病気やケガによって頭の働きが悪くなってしまう障害(高次脳機能障害)である。
健常だった人が、ある日突然、交通事故などによって脳に損傷を負い、記憶力や注意力、感情をコントロールする能力などの頭の働きが悪くなる。これらが永続する後遺症となれば、それが高次脳機能障害だ。
高次脳機能障害は、労務能力などの、社会生活能力が低下することにつながる。彼らが社会復帰するうえで、「合理的配慮」は欠かせない。社会的リハビリテーションには、後遺障害をもつ人が働くために必要な「合理的配慮」を見極め、彼らが属する社会にこの「合理的配慮」を導入するという、重要な役割がある。
一般にリハビリというと、骨折に対して行われるような“運動療法”をイメージする人が多いと思う。しかし、リハビリにはもっと広い意味がある。リハビリテーションの語源はラテン語で、re(再び)+ habilis(適した)であり、「再び適した状態になること」や「本来あるべき状態への回復」などの意味を持つ。それには当然、後遺障害を持つ人に必要な合理的配慮の見極めと導入も含まれる。
発達障害の子どもたち 学校での合理的配慮とは?
2016年4月に施行された障害者差別解消法により、発達障害のある子どもたちに、学校が「合理的配慮」をすることが義務づけられました。しかし実際は、適切な支援がなく、不登校に陥いる子どももいます。どうしたら発達障害のある子どもたちが、いきいきとした学校生活を送れるのか?そのヒントを探ります。
「合理的配慮」義務化も、学校はなお理解不足
教師と保護者の連携 促進のカギは「個別の指導計画」
教師が抱える悩み 解決の糸口は「チームで支援」
発達障害の子どもの教育が全体の底上げに
専門家から
「合理的配慮」の義務化も、学校はなお理解不足
対人関係が苦手、こだわりが強いなどの特徴がある、自閉スペクトラム症「ASD」。注意を持続させられない、じっとしていられないなど特徴がある、注意欠如多動症の「ADHD」。読む、書く、計算するなどが苦手な学習障害「LD」などを主とする「発達障害」は、脳機能の一部がうまく働かないために生じると考えられています。
2016年4月に障害者差別解消法が施行され、障害のある子どもが他の子どもと平等に学べるよう、国公立学校が「合理的配慮」(*1)をすることを義務化されました。しかし、その配慮はまだまだ全体に行き渡ってはいません。
*1「合理的配慮」とは?
障害のある人が他の人と平等に暮らすために、
周囲の人や学校、会社などが無理のない範囲で行うべき?支援や?ルールの変更、?環境の調整。
例えば、?見えない人に声で文字情報を伝える、?音に敏感な子どもに教室でヘッドフォンの着用を認める、?車いすの人のために動線を広くする…など。
番組にはこの問題について、さまざまな声が寄せられました。そのなかには次のようなメッセージがありました。
自閉症スペクトラムの小4の息子。IQは高く、学習には問題なし。学校では、大きな問題はなく過ごしていると言われてきました。しかし、3年生の後半から自宅で荒れ始め、行き渋りが増え、4年生になってすぐに不登校になってしまいました。(むらさん、クモくん)
メッセージを寄せてくれた、むらさん(仮名)と息子のクモくん(仮名)。クモくんは小学1年生の時、「自閉症スペクトラム」と診断されました。
クモくんは、全国の路線を知り尽くす鉄道博士。関心のある特定のことに強いこだわりがある一方、相手のちょっとした言葉遣いに敏感で、つい攻撃的になってしまいます。
3年生になった頃から、一部の友達の言葉や態度に強いストレスを感じるようになりました。次第に学校に行くのが怖くなり、4年生からは通えなくなってしまいました。母親のむらさんは学校に、5年生では苦手な子とクラスを分けてもらいたいと伝えました。そして、その結果を事前に教えてほしいと頼みます。しかし、前向きな返答はありませんでした。
「苦手な子とクラスが違うと前もって分かっていたら、皆と同じ時間に私と一緒なら、もしかしたら行けるかもっていう期待もちょっとあって。とにかく閉ざされているというか、クレーマー的にだけとらえられているというか。配慮とか支援とは思ってなくて、まあ、直訴されたぐらいの感じに受け取っているんじゃないかっていう印象は持ちましたよね。」(むらさん)
結果的に、クモくんは新学期に合わせたクラス替えで配慮されました。ただ始業式よりも前に知らされるということはなく、始業式の当日に知りました。
しかし、このように配慮されるケースばかりではありません。そもそも発達障害がどういうものなのか、なかなか学校で理解してもらえないという声がたくさん届きました。

知的障害者よ、街に出よう 人との交流から自立の糸口

重度の知的障害がある息子に生活の場をつくりたいと、NPO法人のクリエイティブサポートレッツ(浜松市)を立ち上げた久保田翠・理事長(57)。半生をたどる連載の最終回は、地域や人との交流について。そこから自立の糸口も見えてくるという。
◇   ◇   ◇
 重度の知的障害のある人をありのままに受け入れる――。「たけし文化センター」の理念をとりいれた福祉施設を2010年に浜松市郊外に開設。2018年には同市の中心部にも新施設を立ち上げた。
街中に出たのは、このままじゃいけないという危機感からです。世の中には共生社会といった言葉があふれていますが、彼らに接したことがある人は本当に少ない。知らないから目を背ける。言葉では伝わらないので、我々から出て行って知ってもらおうと考えました。
街中では多くの発見があります。家電が大好きな人が、電気屋さんに何時間も居座り、オーディオアンプを前に「これがほしい」とねだり続けました。付き添っていたスタッフが店員に聞くと8万円もします。手持ちは70円しかありません。
店員から「高額なので売り切れはないと思います。後日ご来店されても大丈夫ですよ」と丁寧に対応されると、その人は「そうですか」と言って、さっさと帰りました。街中では店員と客という関係が確立しており、障害者が訪れてもこうしたコミュニケーションが成り立つことに驚きました。
2017年度には、芸術分野で優れた業績をあげた人を対象とする「文化庁芸術選奨」の新人賞に選ばれた。
知的障害者の存在を知ってもらい、イベントなどを通して社会を揺さぶる。そんな活動が「芸術」として認められたのはありがたいことです。
ただ重度障害のある息子を持つ私たち家族にとって、ここにいたる経緯は生き延びるための一つの対処法だったようにも思います。
ずっとそばで支えてくれた夫は今年3月に病気で他界しました。仕事を続けながら、息子の壮(たけし)を献身的に介助し、最期まで彼のことを思っていました。今の社会では家族にかかる負担が大きすぎます。私の目標は壮が自立することであり、そして壮の自立は私の自立でもあると考えています。
 浜松市中心部の新施設には宿泊・住居機能もある。壮さんは10月から、そこで暮らし始めた。
知的障害者は親が亡くなった後のことを考えなければならないといわれます。果たしてそうでしょうか。
先日、壮が髪を金色に染めました。文化センターに泊まりに来た人やスタッフが「カッコイイんじゃないの?」というノリでやりました。最初は本人の意志なのかと戸惑いました。
けれども23歳になった壮がどう生きるべきか、何が幸せかは、親である私にも分かりませんし、いつまでも親が決めていいわけがありません。金髪にしたのは、友人たちが意見を出し合い合意形成した結果です。壮にとって新たな関係を開くきっかけになると思っています。
それは障害のない人でも同じでしょう。人は様々な人から影響を受けて自分を形成しています。そこに厚みがあればあるほど、豊かな人生になるのではないでしょうか。
(安芸悟)

鹿児島の障害者工房 アート界が注目

自然に包まれ 強い個性触れる
鹿児島中央駅からバスで40分ほどの住宅街のなかに、アート界で注目されている施設がある。しょうぶ学園という知的障害者の支援施設だ。障害の有無にかかわらず誰にでも開かれた学園として運営されており、園内の工房で作られる工芸作品やレストランを目当てに、年間約1万人もの観光客らが訪れている。
「こんにちは」。最寄りのバス停から歩くこと数分。園内の雑木林のような小道で施設利用者とすれ違う。山道でハイカーと会った時のようなあいさつを交わすうちに、初めて訪れたとは思えない不思議な懐かしさを覚える。
しょうぶ学園は社会福祉法人の太陽会(鹿児島市)が1973年に設立した支援施設。現在は約40人の利用者が職員と暮らしている。防犯カメラが入り口に設置されているほかは、門もなく誰でも利用が可能だ。観光客に加え、休日には近所の子どもたちが駆け回る。
同園の小野好美さんは「社会に受け入れてもらうのではなく、学園の中に社会が入ってきてくれるような仕掛けを作ってきた」と話す。
人気が高いのが、緑に囲まれた広場に設けられたツリーハウスだ。美しい庭や遠くの山並みが一望でき、都会にはないゆったりとした時間が味わえる。
園内には生パスタが絶品だと評判のレストランもある。レストランで注文した食事も木の上で楽しめるとあって、毎年夏には人気の観光地だ。石臼でひいたそば粉を使う手打ちそばや同じく石臼でひいた粉を使う香ばしいパンも味わえる。広場には利用者が世話をするロバと羊が草を飼育されており、子ども連れにも親しみやすい。
ショップで販売されている施設利用者によるアート作品も一見の価値がある。園内には木工や陶芸、絵画など4つの工房があり、施設の利用者が日々制作にいそしむ。鮮やかな色彩で塗られたポストカードや、色も形もどこか神秘的な皿や植木鉢などの陶器からは強い個性とエネルギーがあふれる。作り手の美への並々ならぬ情熱に心を動かされる人も多いようだ。
工房では以前、規格の決まった工芸品の制作を目指していたという。あるとき、作り手に自由に制作を任せてみたところ、多彩な作品を生み出せるようになったという。作品目当ての客も多く、全国のセレクトショップから注文が途絶えない。
障害の有無に関係なく人がアートや自然を通してふれ合う、ゆったりとした休日はどうだろうか。
(西部支社 荒木望氏)
▽アクセス JR鹿児島中央駅

知的障害者よ、街に出よう 人との交流から自立の糸口

重度の知的障害がある息子に生活の場をつくりたいと、NPO法人のクリエイティブサポートレッツ(浜松市)を立ち上げた久保田翠・理事長(57)。半生をたどる連載の最終回は、地域や人との交流について。そこから自立の糸口も見えてくるという。
◇   ◇   ◇
 重度の知的障害のある人をありのままに受け入れる――。「たけし文化センター」の理念をとりいれた福祉施設を2010年に浜松市郊外に開設。2018年には同市の中心部にも新施設を立ち上げた。
街中に出たのは、このままじゃいけないという危機感からです。世の中には共生社会といった言葉があふれていますが、彼らに接したことがある人は本当に少ない。知らないから目を背ける。言葉では伝わらないので、我々から出て行って知ってもらおうと考えました。
街中では多くの発見があります。家電が大好きな人が、電気屋さんに何時間も居座り、オーディオアンプを前に「これがほしい」とねだり続けました。付き添っていたスタッフが店員に聞くと8万円もします。手持ちは70円しかありません。
店員から「高額なので売り切れはないと思います。後日ご来店されても大丈夫ですよ」と丁寧に対応されると、その人は「そうですか」と言って、さっさと帰りました。街中では店員と客という関係が確立しており、障害者が訪れてもこうしたコミュニケーションが成り立つことに驚きました。
2017年度には、芸術分野で優れた業績をあげた人を対象とする「文化庁芸術選奨」の新人賞に選ばれた。
知的障害者の存在を知ってもらい、イベントなどを通して社会を揺さぶる。そんな活動が「芸術」として認められたのはありがたいことです。
ただ重度障害のある息子を持つ私たち家族にとって、ここにいたる経緯は生き延びるための一つの対処法だったようにも思います。
ずっとそばで支えてくれた夫は今年3月に病気で他界しました。仕事を続けながら、息子の壮(たけし)を献身的に介助し、最期まで彼のことを思っていました。今の社会では家族にかかる負担が大きすぎます。私の目標は壮が自立することであり、そして壮の自立は私の自立でもあると考えています。
 浜松市中心部の新施設には宿泊・住居機能もある。壮さんは10月から、そこで暮らし始めた。
知的障害者は親が亡くなった後のことを考えなければならないといわれます。果たしてそうでしょうか。
先日、壮が髪を金色に染めました。文化センターに泊まりに来た人やスタッフが「カッコイイんじゃないの?」というノリでやりました。最初は本人の意志なのかと戸惑いました。
けれども23歳になった壮がどう生きるべきか、何が幸せかは、親である私にも分かりませんし、いつまでも親が決めていいわけがありません。金髪にしたのは、友人たちが意見を出し合い合意形成した結果です。壮にとって新たな関係を開くきっかけになると思っています。
それは障害のない人でも同じでしょう。人は様々な人から影響を受けて自分を形成しています。そこに厚みがあればあるほど、豊かな人生になるのではないでしょうか。
(安芸悟)

知的障害に「問題行動」ない ずぶぬれも音立ても肯定

知的障がい あるがままに(3)
重度の知的障害がある息子に生活の場をつくりたいと、NPO法人のクリエイティブサポートレッツ(浜松市)を立ち上げた久保田翠・理事長(57)。半生をたどる連載の第3回では「問題行動」といわれる行為について、その意味を問う。
◇   ◇   ◇
 アートか福祉かの板挟みを脱する転機となったのが、2008年に始めた「たけし文化センター」というイベント空間だ。アートとは到底呼べなくても、知的障害のある子どもたちに好きなことを自由にしてもらう。そこにこそ創造性があると考えた。
息子の壮(たけし)は全介助といわれる最重度の知的障害者で、食事も着替えも満足にできません。障害者によるアート活動を展開してきましたが、壮のように絵も描けない人はダメなのかという疑問がわきました。
壮はプラスチック製の容器に石を入れて、一日中ガチャガチャと音を出し続けます。小学1年生から高校3年生まで特別支援学校に通っていたとき、トイレや着替えの訓練を受けましたが、何も達成できませんでした。その間、唯一手放さなかったのが、この石遊びです。
通常なら問題行動とされる石遊びを、私は取り上げることはできませんでした。なぜなら、それこそが彼の最も大切にしていることであり、彼の人格を最も表している行為だからです。たけし文化センターでは、こうした取るに足らない行為も本人の「表現」と捉え、壮個人を全肯定する試みでした。
 たけし文化センターでは障害の有無にかかわらず、誰もが共存できる空間を目指した。
なかには水が大好きで、いつもビシャビシャのぬれネズミの子もいます。大雨が降ったら喜んで外に出て行きます。お母さんもやめさせたいけれど、やめない。じゃあ逆に、一体どこが問題で、誰が彼の行動をやめさせたいのか考えると、実は何が問題なのか分からない。誰もやめさせたいとは思っていない。
だったら着替えをたくさん持ってきて、水浴びをしたらすぐに着替えさせる。そうすれば彼の問題行動は問題行動でなくなるのです。
壮や子どもたちを自由にさせると、テーブルの上のものがなぎ払われることがあります。何度言っても聞きません。逆転の発想で、手の届かないところにものを置くことにしました。テーブルや椅子の脚を壮らの身長より高くすれば、皆が同じ空間にいることができます。いっそのことカフェにしていろんな人を呼ぼうと考えて、「高所カフェ」を開催しました。
子どもと一緒に散歩するワークショップを開いたこともあります。10メートルほどの道を20分も30分もかけて歩きます。ほとんど動かないときもあれば、何かをじーっと見つめていることもあります。奇妙な散歩ですが、参加した人は「こんなに道をゆっくり歩いたことはなかった」と感動します。
人は「あれができる」「これができない」といった能力で判断されがちです。障害者は時として「この人は自閉症です」とか「こういう特徴があり、こんな問題があります」と語られます。しかし、その人の存在を全肯定することから始めれば、既存の価値観に対する様々な問いが生まれ、社会を揺さぶることができると思いました。
(安芸悟)

アートは知的障害を超えるか 母親の試行錯誤始まる

知的障がい あるがままに(2)
重度の知的障害がある息子に生活の場をつくりたいと、NPO法人のクリエイティブサポートレッツ(浜松市)を立ち上げた久保田翠・理事長(57)。半生をたどる連載の第2回は「一番大変だった」という草創期についてだ。
◇   ◇   ◇
 横浜市で生まれ、静岡市で育った。建築士の父親と画家の母親は「人と同じ事をするな」という教育方針だった。
アートや建築にはもともとなじみがありました。東京の美術大学、大学院に通い建築や景観デザインを学びました。東京の街づくり会社に就職も決まりましたが、地方の街のあり方を東京で考えることに疑問を覚え、内定を辞退。故郷の静岡市に戻り、妹と一緒にデザイン事務所を立ち上げました。
1990年、28歳で結婚し、翌々年に第?子の長女を出産。育児に追われるなかで、経営よりデザインの仕事に専念しようと、事務所は妹に任せて、浜松市で父親の設計事務所に入りました。そして1996年、重度の知的障害のある息子、壮(たけし)を生むことになります。
 壮さんが自由に生活できる場を求め、障害児を持つほかの母親たちとともに「クリエイティブサポートレッツ」を設立。まず取り組んだのは子どもたちにアート作品を創作してもらうことだった。
レッツはボランティア団体としてスタートしました。お母さんの一人が場所を提供してくださり、みんなで子どもたちを連れてきてワイワイやっていました。学校が終わった後にお母さん同士でぺちゃくちゃ喋って、子どもたちは建物の中を走り回る。そんな楽しい空間でした。
「レッツアート」と称して、アート講座を始めました。絵画や音楽、ダンスなど、近所のアーティストたちにお願いして、講師になってもらうのです。壁に絵を描いたり造形ともいえないヘンテコなオブジェを作ったりと、やりたい放題でした。障害のある子だけでなく、たとえば引きこもりの子なども好き勝手に出入りしていました。
 障害者の創作を評価する「エイブルアート」と呼ばれる活動に注力。2002年には地元の浜松市で講演会などのイベントを主催し、展覧会も開いた。
エイブルアートに積極的になるにつれて、興味を持ったアーティストたちが次々と集まってきました。一方でお母さんたちのなかには、成長した子どもをちゃんと預かってほしいという方もいて、アートか福祉かの板挟みになりました。手伝ってくれる人がいないときは全部自分でやりました。
壮はまだ小学校に入ったばかりで体が小さく、会話もできませんから、アート講座には出られません。車の中に体を縛り付け、カーステレオをかけたまま、1時間も2時間も遊ばせていました。そのうち自分の排せつ物をまき散らし、車の中が便まみれになったこともあります。
他のお母さんから「久保田さん、何やってんの? 子どものために始めたのに、やってること違うでしょ」と問い詰められました。今振り返れば、このときが一番大変でした。レッツを辞めようとも考えました。
それでも何とか続けようと、2004年にNPO法人にしてスタッフを雇いました。行政に助成金を申請しましたが通りません。唯一認めてくれたのが外資系企業のフィリップ・モリスとファイザーでした。「あなたたちの活動は価値があるが、行政は(申請を)受け取らないだろう。それが分かるから、応援することにした」と言われました。
(安芸悟氏)

クリエイティブサポートレッツ理事長 久保田翠さん 知的障害 あるがままに(1)

 2020年東京パラリンピックを機に、障害の有無にかかわらず認め合う「共生社会」がもてはやされている。だが重度の知的障害のある人たちへの偏見は根強い。NPO法人、クリエイティブサポートレッツ(浜松市)理事長の久保田翠さん(57)は彼らが自由に自分を表し、生活できる場をつくろうとしている。目指すのは、どんな障害もありのままに受け入れる社会だ。
2018年10月、浜松市の中心市街地に「たけし文化センター」という障害福祉施設を造りました。そこでは約30人の知的障害者が毎日を過ごしています。
ある人は階段をゆっくり上り下りし続けます。ある人は粘着テープをものに貼り付けてははがすことを繰り返しています。またある人は地面をたたいたり奇声を発したりしています。
こうした行為を、世間では「問題行動」とみなしてやめさせようとするでしょう。でもたけし文化センターでは、それらをすべて受け入れます。スタッフは和気あいあいと障害者に接し、彼らのユニークな言動に新鮮なまなざしを注いでいます。「なんか変わったことしてるぞ」と聞きつけた研究者やアーティストも訪れます。
世間で障害福祉施設はまだ迷惑施設と思われていますが、ここには一般の人が宿泊できるゲストハウスや、居住できるシェアハウスもあり、障害の有無にかかわらず共存できる空間を目指しています。「障害や問題行動をそのまま肯定する」というのが私たちの活動理念です。
  建築事務所でデザイナーをしていた久保田さんが、現在の活動を始めるきっかけは、1996年に重度の知的障害のある息子、壮(たけし)さんを生んだことだった。
私は出産後も、デザイン関係の仕事を続けたいと思っていました。壮が幼い頃は社会福祉法人の保育園に通わせていましたが、卒園後は学童保育に預けようと役所に相談に行きました。
すると「それは無理」と一蹴されました。障害児の面倒は母親がみるのが当たり前だというのです。母親が働き続けたければ親族がかわりにみる。それも無理なら、遠くにある福祉施設に隔離するしかありません。
ほとんどの福祉施設は壮のような重い知的障害のある子どもの問題行動をやめさせ、矯正しようとします。世の中の仕組みにのっとってお金を稼ぎ、社会に貢献できるよう訓練します。
しかし、そんなことできっこありません。自分の意思を表現することすら困難なのですから。むしろ問題行動のなかに、その人の物事へのこだわり、やりたいことをやりきる熱意があります。それは「表現」とも言いがたいものですが、誰もが持つ自分自身を表す力であり、行為だと思います。
同じような障害児を持つお母さんたちと「自分たちで居場所をつくろう」と2000年に立ち上げたのがクリエイティブサポートレッツです。悩みながら全力で突っ走ってきました。
(安芸悟氏が担当します)

「車いす拒否」全国調査へ 障害者団体、UDタクシー巡り

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車いすに乗ったまま利用できるユニバーサルデザイン(UD)タクシーを巡り、運転手が乗車を拒否するケースが相次いでいるとして、障害者団体「DPI日本会議」(東京)が、東京パラリンピックの開幕300日前となる10月30日に全国で乗車拒否の件数などを調査する。乗降用スロープ設置に不慣れなどの理由が目立つという。
調査は札幌、東京、名古屋、大阪の車いす利用者100人規模での実施を想定。流しやタクシー乗り場で乗車を試みるほか、電話で配車を予約し、拒否されるケースを集計する。
また乗車できた場合は、発車までにかかる時間を計測。まとめた調査結果を基に国土交通省やタクシー事業者に改善を求める。
UDタクシーは2017年度までに全国で2万113台が導入されたが、同年秋ごろから「乗車を拒否された」「時間がかかりすぎる」といった声が国交省に寄せられた。ほとんどがスロープ設置に運転手が不慣れなことが原因だった。
こうした状況を受け、同省は昨年11月、乗車拒否を違法とする道交法の順守や障害者差別解消法の理解を深めるよう全国の事業者に通達。今年3月からは、運転手にスロープ設置を身に付ける研修実施を補助金支出の条件とした。DPI日本会議の佐藤聡事務局長は「普及しているのに乗れないのは残念。運転手の意識改革のきっかけにしたい」と話している。
国交省は東京五輪・パラリンピックを見据え、UDタクシー導入に1台当たり補助金最大60万円を出し、2020年度までに福祉タクシーを含めて4万4千台の普及を目指す。

パラ教育で偏見なくす 元金メダリストが子供に託す夢

東京パラリンピックまで今日で1年。国際パラリンピック委員会(IPC)教育委員のマセソン美季さん(46)は、子供の教育にパラを取り入れようと奔走している。作成に携わった教材を片手に、学校の先生に活用を働きかける。根底には、交通事故で車いすを使うようになった後、長野大会で金メダルをとった経験がある。障害に対する偏見や差別をなくすのが夢だ。
パラリンピックというと、大半の方が「障害のある人」を思い浮かべるのではないでしょうか。障害という言葉には「かわいそう」とか「大変そう」といった先入観がつきまといます。
でもパラの選手たちは障害を言い訳にしません。できないことにこだわらず得意なことを伸ばしていけば、一体どんなことができるのだろうという、人間の可能性にこそ注目してほしい。そう考えて「アイムポッシブル(私はできる)」という教材を作りました。
公益財団法人、日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ、東京・港)の支援があったから実現できました。IPCの公認教材として、日本はもちろん、全世界で使ってもらいたいです。
障害のある人をかわいそうと思っていた子供も、パラの選手を知れば「すごい」「格好いい」という羨望に変わります。固定観念を崩したところから、新しいアプローチが始まります。
たとえばパラの選手が学校に来るとしたら、どう迎えればいいかを問いかけます。競技場ですごい力を発揮した選手が、外では階段や狭い通路に行く手を阻まれます。選手の立場で身の回りのバリアを見つけだし、解決策をみんなで探ります。
パラ競技のルールを学んだうえで、公平についても考えます。クラスに車いすの子がいて、みんなで玉入れをするにはどうするのがいいか。答えは一つでありません。みんなで、車いすの子の意見にも耳を傾けます。
子供のときから先生になりたくて、カナダの小学校で教えていました。選手として出場した経験からパラの価値も知っています。これらをどう融合させるか、ずっと考えてきました。
私がけがをして一番嫌だったのは、車いすに乗っているだけで、自分は何も変わっているつもりはないのに、偏見とか差別の対象になることでした。
それはどこから来るのか考えていたら、人権教育啓発推進センター理事長だった故・横田洋三先生が「教育です」とずばっとおっしゃいました。親から子供、先生から生徒に教える以外に「無言の教育」もある、と。大人から刷り込まれて子供は育っていく。私がすべきことは教育だ! ビビッと来ました。
(高橋圭介)

障がい者の職場定着を支援

「取引先からお約束の日時を変更してほしいと電話で連絡を受けました」
「了解しました」
ウェルビーが展開する障害を持つ人を対象にした電話応対の研修風景だ。
企業のオフィスをイメージした室内で6月下旬、障がい者約20人が営業資料の作成やパソコンの使い方など事務作業をテーマにした研修を受けていた。
ウェルビーは直近の3年平均のROE(自己資本利益率)が64.3%と100億円以下の上場企業978社の中でダントツトップである。(直近4年間のデータが取得できる企業を対象)
2011年に創業し、障がいを持つ人向けの就労移行支援施設を全国で約70拠点運営する。職業訓練や求職活動の支援に加え、職場定着支援も手掛ける。
2019年3月期にウェルビーの研修を受けて就職した人数は785人で、3年前に比べ2.6倍に増えた。精神疾患や身体障がい、知的障がい等様々な課題を抱える人々を支援する。
強みは就労後の定着率の高さ。2018年9月までの1年間に就職した利用者のうち、6ヵ月以上定着した割合は87.2%に上る。
職場の担当者と定期的に連絡を取り、障がいの特性に応じた接し方や指示の出し方などをアドバイスする。利用者の7割が未経験の職種に就職するだけに、きめ細かな支援が欠かせない。
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