「家族」カテゴリーアーカイブ

終わってしまった、父との365日

8月14日、父が亡くなった。81歳。
どうだったんだろうか、この1年。
私は少しでも親孝行ができたのか?
ひとつだけ、
認知症になった父は
昔の仕事や子どもの頃の話をしてくれた。
会うたびにニコニコして
私が子どものころ怒られた時の面影はなく
楽しく会話にならない会話をして
時間を過ごした。
この1年間に悔いはない。
そう思おう。
頑張って父と向き合った1年間。
とうとう独りぼっちになった。
これからどう過ごそう
仕事ばかりじゃ寂しいよな。
父よ、ご冥福をお祈り申し上げます。

瑚心すくいのこと

幼い頃から性別に違和感があって
もがき悩み葛藤しながら人生を歩んできた。
そんな自分と向き合う幾度となく機会はあったが、
“性格の問題”だと言い聞かせ“気持ち”で何とかしようと
男性として結婚もし、女の子も生まれて良い子に育ってる。
しかし結局は性同一性症を悩むあまりに躁うつ病にも悩まされ続けた。
だが死と向き合った3年前を切っ掛けに
カミングアウトして女性として生まれ変わった。
ただ頑張ってはいるが試練は未だ続いている。
胸を張って生きているつもりが絶対大衆群に戦いてしまうこともある。
一昨年末から1年丸々どん底で、今でも色々尾は引いているが
それでも、私は起業と仲間から絶対目を背いて人生は歩めない。
通院している精神科医先生とジェンダークリニックの先生方は
雑談しながら笑い、叱咤激励してくれている。
そんな3年間。先月、40年ぶりに中学生の恩師と再会し、
私はタイムスリップした。先生も満面の笑みで昔を語った。
そんなある日があってから母親が好きで作った形見の人形さん達に
幼少期や中学生の頃の思いを、母親と思って語り合う事が度々ある。
それから私はちょっと変わった。
トラブル続きの中、新しく貰った薬のせいもあってか前向きになり、
思春期で性別を一番悩んだ自分と向き合う事が出来た。
ようやく生まれて55年経って、私本人と出会う事が出来た。
こんな事云うと非難を浴びるが今思う。
自分らしい自分が、今大好きである。
これからも人生を歩む中、些細な支援になるかもしれないが
一人でも多くの方々に同じ思いを感じて欲しい。
こころ未来社会学国際共生研究所

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母の供養と父との時間

今日は父と2人で京都西本願寺大谷本廟へ母の供養に朝から出かけてきた。
昨年、父と大喧嘩してから、何故かしら2人の距離感は良い関係になっている。
お互いに自己主張するところと思いやりを持つところのバランスっていうんでしょうか。あれから父も私の人格を認め、私も父を改めて尊敬するところを感じる。
私が5〜6歳の頃(福岡県博多)父は靴屋を営んでいた。ある時我が家(長屋アパート)は隣人の寝タバコで火事となり跡形もなく消えた。父と母は私に不安を与えないように気を使っていたと思う。その時、父は思い切って大手インスタントラーメンメーカーへ就職を決め大阪へ家族で人生をやり直しに来た。
今日は父とその頃の話。
「あの時は安藤百福社長から、靴屋さんと呼ばれていたなー。(へえ〜です)」
確かに父の転勤で私は小学校5つ・中学校3つ行った。父を恨むことはなかったが友人とすぐ離れ離れになることは残念で仕方なかったが・・・。
「当時、インスタントラーメンを取り扱う販路開拓を真っ先に任されとても苦労した。」と。
更に「現社長の安藤宏基氏は2代目として、いきなり海外勤務で大変やったが、国内では良く一緒に麻雀で負かした。」と父は自慢してた。
確かに、よく家に常務とか専務とかから電話がありました。
父親なりの英才教育なのでしょうか?
当時はたまの日曜日にそんな電話を切っ掛けに経営に関する色んな数字の説明を聞かされたもんです。
で、私もこの歳になってようやく経済や国策の話を父としている。78歳になった今でも市場分析力やビジネス論にはとても感心する。まだまだ越えられないな。
でも、そんなことはどうでも良い。私の方が当然長生きするのだから、学べるものは学んで次世代に引き継いていきたいと改めて思う本日でした。