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ローマ教皇、理想語らぬ政治に危機感

来日に込めた狙い 大衆迎合と対決、決意示す
ローマ教皇(法王)フランシスコが26日、4日間の日本滞在を終えて帰路に着いた。38年ぶりの来日は何を残したのか。
痛感するのは夢や時代の精神を人々に呼び掛けることの大切さと難しさ。そして分断された世界をつなぎとめ、未来を語る国際的なリーダーシップへの強い渇望だ。
核兵器廃絶訴え
フランシスコ教皇は24日、被爆地の長崎と広島から「核兵器のない世界は可能であり、必要である。核兵器は安全保障への脅威から私たちを守ってはくれない」と戦争の悲惨さと核兵器使用・保有の恐怖を訴えた。
耳が痛い思いをした政治リーダーは多いだろう。3年半前、現職の米大統領として初めて広島を訪れ、平和の祈りをささげたのは「核兵器なき世界」を約束したはずのオバマ前大統領だった。
だが皮肉にも核情勢は深刻さを増している。中国や北朝鮮が核開発や兵器配備を進め、米ロの中距離核戦力(INF)廃棄条約も失効。小型の”使える核”がテロ組織の手に渡る恐怖も広がる。
困難を乗り越えるには多国間の粘り強い交渉や妥協が欠かせない。では誰が言い出すのか。旗振り役だった米国は「自国第一」を叫び、単独行動にひた走る。国連など国際機関も効力は薄い。
そんな状況だからこそ夢を語る教皇の言動に関心が集まる。安らぎを保障し、理想の世界を示すという本来の役割を政治が果たしていないのだ。
教皇は演説で「平和と安定は団結と協力に支えられた道徳観からしか生まれない。軍備管理の国際的枠組みが崩壊する危険がある」とも指摘した。
これは多国間協議を拒絶する単独行動を批判した発言である。自国の利益を優先するなら核廃絶や軍縮の実現はおぼつかない。メッセージには台頭するポピュリズムへの対決姿勢が読み取れる。
普段の言動からも、ポピュリズムと格闘する教皇の姿が浮かび上がる。
266代目で初の南米(アルゼンチン)出身の教皇となったフランシスコは2013年の就任以来「貧者のための教会」を掲げ、数々のメッセージを送り続けてきた。
特に移民受け入れや地球温暖化防止に背を向けるトランプ米大統領には手厳しい。メキシコ国境での壁の建設には「懸け橋でなく壁を作ろうとする人はキリスト教徒ではない」とたしなめた。
資本主義の行き過ぎにも警鐘を鳴らし、弱者に救いの手を差し伸べる。英国離脱で混乱する欧州連合(EU)首脳には「欧州は家族」と結束を呼び掛ける。教皇の存在は決して無視できない。
ローマ教皇庁(バチカン)は無神論を掲げる共産主義と戦前から対峙してきたことで知られる。その象徴が38年前に来日した教皇ヨハネ・パウロ2世である。初のポーランド出身教皇として母国の民主化を支援。東欧革命に火を付け、ソ連崩壊、冷戦終結を導いた。
共産圏と雪解け
しかし、フランシスコ教皇は「最大の敵」だった共産主義圏との融和についに足を踏み出す。
15年にキューバと米国の国交回復を仲介したほか、16年にはロシア正教会と和解して1054年以来続くキリスト教会の東西分裂を修復。司教任命権を巡って激しく対立してきた中国政府とも18年、暫定合意にこぎつけるなど歴史的な偉業を次々に成し遂げてきた。
そこには「壁」を作ろうとするポピュリズムへの対決姿勢がにじむ。
ヨハネ・パウロ2世とフランシスコ――。2人の対比に、世界情勢の変化を感じざるを得ない。
構造変化はなぜ起きたのか。原因は様々だ。グローバル化とIT(情報技術)の進歩、過剰な競争は社会に格差と分断を生み、安定した政治を支える中間層を疲弊させた。世界の富は欧米からアジアに移転。新興国からの挑戦を受けた先進国にかつての余裕はない。
「イデオロギー対立が終わり、国際体制の秩序が崩れたことで教皇の闘争相手は共産主義からポピュリズムに変わった」と専門家は見ている。
(編集委員 小林明氏)

ローマ教皇「世界覆う不信、打ち壊す」 スピーチ全文

ローマ教皇(法王)フランシスコが24日午前、長崎市の爆心地公園で行ったスピーチの全文は次の通り。
愛する兄弟姉妹の皆さん。
この場所は、わたしたち人間が過ちを犯しうる存在であるということを、悲しみと恐れとともに意識させてくれます。近年、浦上教会で見いだされた被爆十字架とマリア像は、被爆なさった方とそのご家族が生身の身体に受けられた筆舌に尽くしがたい苦しみを、あらためて思い起こさせてくれます。
人の心にある最も深い望みの一つは、平和と安定への望みです。核兵器や大量破壊兵器を所有することは、この望みへの最良の答えではありません。それどころか、この望みをたえず試みにさらすことになるのです。わたしたちの世界は、手に負えない分裂の中にあります。それは、恐怖と相互不信を土台とした偽りの確かさの上に平和と安全を築き、確かなものにしようという解決策です。人と人の関係をむしばみ、相互の対話を阻んでしまうものです。
国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります。
ここは、核兵器が人道的にも環境にも悲劇的な結末をもたらすことの証人である町です。そして、軍備拡張競争に反対する声は、小さくともつねに上がっています。軍備拡張競争は、貴重な資源の無駄遣いです。本来それは、人々の全人的発展と自然環境の保全に使われるべきものです。今日の世界では、何百万という子どもや家族が、人間以下の生活を強いられています。しかし、武器の製造、改良、維持、商いに財が費やされ、築かれ、日ごと武器は、いっそう破壊的になっています。これは途方もないテロ行為です。
核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです。この理想を実現するには、すべての人の参加が必要です。個々人、宗教団体、市民社会、核兵器保有国も、非保有国も、軍隊も民間も、国際機関もそうです。核兵器の脅威に対しては、一致団結して応じなくてはなりません。それは、現今の世界を覆う不信の流れを打ち壊す、困難ながらも堅固な構造を土台とした、相互の信頼に基づくものです。1963年に聖ヨハネ23世教皇は、回勅『地上の平和(パーチェム・イン・テリス)』で核兵器の禁止を世界に訴えていますが(112番[邦訳60番]参照)、そこではこう断言してもいます。「軍備の均衡が平和の条件であるという理解を、真の平和は相互の信頼の上にしか構築できないという原則に置き換える必要があります」(113番[邦訳61番])。
今、拡大しつつある、相互不信の流れを壊さなくてはなりません。相互不信によって、兵器使用を制限する国際的な枠組みが崩壊する危険があるのです。わたしたちは、多国間主義の衰退を目の当たりにしています。それは、兵器の技術革新にあってさらに危険なことです。この指摘は、相互の結びつきを特徴とする現今の情勢から見ると的を射ていないように見えるかもしれませんが、あらゆる国の指導者が緊急に注意を払うだけでなく、力を注ぎ込むべき点なのです。
カトリック教会としては、人々と国家間の平和の実現に向けて不退転の決意を固めています。それは、神に対し、そしてこの地上のあらゆる人に対する責務なのです。核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう。昨年の7月、日本司教協議会は、核兵器廃絶の呼びかけを行いました。また、日本の教会では毎年8月に、平和に向けた10日間の平和旬間を行っています。どうか、祈り、一致の促進の飽くなき探求、対話への粘り強い招きが、わたしたちが信を置く「武器」でありますように。また、平和を真に保証する、正義と連帯のある世界を築く取り組みを鼓舞するものとなりますように。
核兵器のない世界が可能であり必要であるという確信をもって、政治をつかさどる指導者の皆さんにお願いします。核兵器は、今日の国際的また国家の、安全保障への脅威からわたしたちを守ってくれるものではない、そう心に刻んでください。人道的および環境の観点から、核兵器の使用がもたらす壊滅的な破壊を考えなくてはなりません。核の理論によって促される、恐れ、不信、敵意の増幅を止めなければなりません。今の地球の状態から見ると、その資源がどのように使われるのかを真剣に考察することが必要です。複雑で困難な持続可能な開発のための2030アジェンダの達成、すなわち人類の全人的発展という目的を達成するためにも、真剣に考察しなくてはなりません。1964年に、すでに教皇聖パウロ6世は、防衛費の一部から世界基金を創設し、貧しい人々の援助に充てることを提案しています(「ムンバイでの報道記者へのスピーチ(1964年12月4日)」。回勅『ポプロールム・プログレッシオ(1967年3月26日)』参照)。
こういったことすべてのために、信頼関係と相互の発展とを確かなものとするための構造を作り上げ、状況に対応できる指導者たちの協力を得ることが、きわめて重要です。責務には、わたしたち皆がかかわっていますし、全員が必要とされています。今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません。対話することのできない文化による破滅を前に目を閉ざしてよい人はどこにもいません。
心を改めることができるよう、また、いのちの文化、ゆるしの文化、兄弟愛の文化が勝利を収めるよう、毎日心を一つにして祈ってくださるようお願いします。共通の目的地を目指すなかで、相互の違いを認め保証する兄弟愛です。
ここにおられる皆さんの中には、カトリック信者でない方もおられることでしょう。でも、アッシジの聖フランシスコに由来する平和を求める祈りは、私たち全員の祈りとなると確信しています。
主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。
 憎しみがあるところに愛を、
 いさかいがあるところにゆるしを、
 疑いのあるところに信仰を、
 絶望があるところに希望を、
 闇に光を、
 悲しみあるところに喜びをもたらすものとしてください。
記憶にとどめるこの場所、それはわたしたちをハッとさせ、無関心でいることを許さないだけでなく、神にもと信頼を寄せるよう促してくれます。また、わたしたちが真の平和の道具となって働くよう勧めてくれています。過去と同じ過ちを犯さないためにも勧めているのです。
皆さんとご家族、そして、全国民が、繁栄と社会の和の恵みを享受できますようお祈りいたします。