「スポーツと指導者」カテゴリーアーカイブ

何度でも野球人生を 海外に送り出す社長の本意 大リーグで生きる

 
 
日本から世界へ、世界から日本へ。夢をあきらめない選手が、国をまたいで挑戦する道を開くため、起業したのが「WorldTryout(ワールド・トライアウト)」社長の加治佐平氏だ。人生に挫折はつきもので、2度、3度と再挑戦できるシステムをつくりたい、という。その思いとは……。
【関連記事】やっと開幕 数字で見るMajor League Baseball
■トライアウトの監督は清原和博氏
2019年11月30日。シーズンを終えて静まり返っているはずの神宮球場に、球音がこだました。日本のプロ野球を退団した選手や、アマチュア選手が内外のリーグに再挑戦する場として、ワールド・トライアウトが開いた試合形式のテストの場だった。
こうしたテスト会にはプロ12球団で戦力外となった選手のための12球団合同トライアウトもある。日本野球機構(NPB)の中で活路を模索するためのものだ。
一方、ワールド・トライアウトは国内の移籍をサポートするとともに、日本と世界を結ぼうという試みとして生まれた。
半信半疑ながらトライアウトに挑戦。メキシコでのプレーを選んだ高木氏
 
昨季限りで西武を退団した高木勇人投手や独立リーグの選手、さらには日本球界入りを希望する外国人4選手も参加した。これをメジャー5球団と台湾プロ野球のスカウトが見守った。
初めて耳にするイベントに、高木も最初は参加をためらったというが、結果としてイベントは大盛況だった。シーズン外れの野球場に2500人のお客が集まった。大半のお目当ては試合形式のテストの「監督」に指名された清原和博氏(52)だった。衝撃の薬物事件から3年。球界のレジェンドの久々のユニホーム姿に注目が集まった。
トライアウト終了後の会見で「(現役)当時の横断幕が見えたりだとか、ライオンズ時代のファンの方もいらっしゃった。またこうして応援していただけたというのは心からうれしい」と、再出発の意欲を語った。
イベントは清原氏一色。だが、それこそ加治佐氏が望んだものだった。「再出発のシンボルとして清原さんに采配をふるってもらえてよかった」。トライアウトの根底には、挫折しても人生は終わりではなく、やり直しはきくのだ、という信条があった。そのメッセージの発信の場として、大成功だった。
神宮球場で行われた「ワールド・トライアウト」で東尾修氏(左)と対談する清原氏。昔からの西武ファンにはたまらない組み合わせ
 
■フリでもいいから楽しむ
バイオテクノロジーの研究者として病気の早期発見や、スポーツ選手の故障予防技術の開発などを手掛ける加治佐氏。畑違いとも思えるトライアウトの必要性に思い至ったのは、東大野球部OBとして親交を重ねていた六大学の関係者に、進路に悩む選手が多かったからだ。プロで解雇されたり、大学卒業後の進路を見つけられなかったり、独立リーグから先の道が途絶えていたり……。野球をやりきったという気持ちを抱けないまま、なし崩し的に第二の人生に進まざるを得ない現状がそこにあった。
 
 
加治佐氏とともにワールド・トライアウト社を運営する田中聡氏は元日本ハム内野手。好きな野球を続けるため、法大卒業後の2000年には米国の独立リーグで修業するなど、道なき道を歩んできた。その苦労話を聞くにつけても、野球選手の進路を広げる必要性を痛感するばかりだった。
西武退団後、野球を続ける道を探すのに苦労した、という高木も今はワールド・トライアウトに参加してよかった、と思っている。「自分のような立場の選手はいままでもいたと思うし、これからも出てくるはず」だからだ。
特に、野球は日本だけでなく、世界のどこでもできるのだから、視野を広げて活躍の場を求めていこう、という考え方には共感するものがあった。
巨人時代、高木は岡本和真らとともにプエルトリコのウインターリーグに参加した。そこには似て非なる野球があった。
「米国の自治領だけど、米国の野球とも違って、純粋に野球を楽しんでいる感じがあった」。負けたら純粋に悔しがる。決して楽しいばかりではないのだが、悔しさもつらさも、どこかで前向きの力に変えないと、勝つための活力が生まれてこない、と考えているらしい。たとえ涙目になっても「俺たちは楽しんでるぜ」と、自分をだましながらやっている感じを含め、高木は興味を引かれた。
 
巨人時代の高木氏。1年目の15年に9勝。中継ぎでも活躍した=共同
 
そこへいくと、日本の野球は「ちょっと抑えながらやっている」と感じられるという。
高木はどちらがいい、悪いという問題ではないと強調しつつ、世界のあり方は一様ではなく、国・地域それぞれの野球があり、人それぞれの生き方があるから面白い、と話す。
高木は今季からメキシコリーグに所属し、プレーを続けることにした。自分の歩んだ跡が、後輩たちの道しるべになればいい、と考えている。
95年の歴史を誇るメキシコリーグも、コロナ禍にはあらがえず、初の中止が決まった。高木の挑戦も宙に浮く形になったが、めげていなかった。
「この困難も、一つの経験だと思います。自分自身は全然下を向いているわけではなくて、次に向けて何をすべきかの勉強になると思います。今はハプニングばかりですが、この経験は必ず自分の糧になると思っています」とのコメントを現地から寄せてくれた。想定外のことばかりに向き合ってきた人らしく、慌てず、騒がず、じっくり構えている。
■「一発勝負」はきつい時代
加治佐氏や高木ら、思いを同じくする仲間の輪は広がりつつあるが、ワールド・トライアウトの課題は多い。日本のプロ球団のスカウトは来ず、その意味でまだ"公認"された存在とはいえない。
こんな声も聞こえてくる。海外へ選手を送り込むのはいいが、安易な挑戦は、ずるずると野球にしがみついて、時間を無駄にするような失敗例を増やすだけではないか。
加治佐氏は逆に問う。駄目とか失敗とか、何をもって判断するのか。
「語学ができて150キロの速球を投げる人材なんてそんないない」と話す加治佐氏
 
「もし野球で駄目でも、英語やスペイン語を話せるようになって帰ってきたら、一般の企業にとっても魅力のある人材になる。語学ができて150キロの球を投げられる人材なんて、なかなかいませんよ」
自分で限界を設けない限り、人は変われる。海外挑戦もそのきっかけになりうる。もし、野球で通用しなくても、それは人生の一部であって、その先に勝負はまだあるのだから、と加治佐氏は訴える。
雇用形態が崩れ、国境の境目が薄れ、人の流れが激しくなる時代に、誰であれ「一発勝負」はきつくなってくる。再挑戦を促し、人生を複線化、複々線化する取り組みは野球界だけのテーマではない。
(篠山正幸氏)
 

「日本企業、大胆さ取り戻せ」 エディー・ジョーンズ氏の発破

ラグビー・イングランド代表のエディー・ジョーンズ監督(59、前日本代表監督)が日本経済新聞の単独インタビューに応じた。ラグビー人気が社会現象にもなった今秋のワールドカップ(W杯)日本大会を振り返るとともに、ラグビーから導かれる日本企業やビジネスパーソンへの期待や注文を語った。
――今大会でイングランドは準優勝。前回(1次リーグ敗退)、前々回(ベスト8)を踏まえれば復活といえるのでは。
「我々にとって素晴らしい大会になりました。強い情熱と誇りのもとに、決勝まで戦い抜くことができました」
「それでも決勝で南アフリカに敗れたのは痛恨です。過去のW杯の戦績がどうであれ、イングランド代表は常に優勝を期待され、チームも優勝のみを目指していたからです」
「初の8強入りを果たした日本代表の躍進は素晴らしかった。既存のラグビー界にとどまらず、国民全体の応援と後押しを得て、大会の偉大な成功につなげました」
――すべての起点は、あなたが日本代表を率いた前回2015年大会の南アフリカ戦の劇的な逆転勝利でした。
「ジェイミー・ジョセフ監督の今回の日本代表はさらに強くなっていました。それは間違いありません。そのうえで、たしかに最初の流れを作ったのは、あの南アフリカ戦だったかもしれません」
「私が日本代表監督に就任したのは12年4月でした。企業の経営判断になぞらえれば『ローリスク・ハイリターン』のプロジェクトだと感じました。当時の日本代表は『良き敗者』で満足、いわば負け犬根性が染みついており、これより下に落ちることはない。一方で日本のラグビーに潜在力があることには気づいていました」
「『勝利』という明確な目標を設定してハードワークを徹底する。そのうえで創造的な戦略や戦術を落とし込めば、成功の道は開けると確信していました。なににも増して、私は誰も達成したことのないことを実現することに喜びを感じるのです」
――15年W杯に向けた最終段階で、思い切った『人事』も注目を集めました。大会の前年にキャプテンを差し替えました。
「まずラグビーという球技にとってキャプテンの重要性は圧倒的に大きいのです。野球やサッカーと異なり、ラグビーは試合が始まったら、監督は指示が出せません。現場責任者たるキャプテンが戦術を判断し、チームをけん引しなければなりません」
「私のチームの初代キャプテンだった廣瀬俊朗選手は最初の2年間で精神的な支柱としてチームの基盤を作ってくれました。しかし大会が近づくにつれ戦術が大きな要素を占めるようになります。キャプテンは常にフィールドにいなければなりません」
「後任にリーチ・マイケル選手を指名したのはこのためです。リーチは15年大会でも期待に応えてくれましたが、さらに日本大会では出場20カ国中、最高のキャプテンになりましたよね。起用に間違いはありませんでした」
「経営者も同じでしょうが、最高指揮官として人材の配置が最も難しい。監督業を25年やっていますがいつも苦悩します。もう6年前になりますが、府中のタリーズに一人廣瀬を呼んでキャプテン交代を告げたときのことは忘れられません。ものすごく落ち込んでいました。当然です」
「しかし『チームのため』という思いを丁寧に説明し、彼は受け入れてくれました。彼は稀有な人格者です。そうでなければ、そもそも初代キャプテンに選んでいません。(俳優業など)今の多方面での活躍は納得ですし、私としても嬉しい」
――ラグビー日本代表が、日本人、外国人、そして外国出身の日本国籍取得者の混成チームであることも注目を集めました。
「ダイバーシティー(多様性)の大切さを端的に示していると思います。それは突き詰めれば、人それぞれに異なる意見や経験を尊重し、受け入れること。そのことがチームや組織、そして社会を確実に強くし、良くするからです」
――あなた自身がダイバーシティーやグローバルを象徴する存在では?
「母親は日系アメリカ人2世です。米国からオーストラリアに移住し、オーストラリア人である父と家庭を作りました。いわばアウトサイダーです。私自身もハーフという生い立ちもあり、常に海外の文化とその多様性に関心がありました」
「だから日本や英国、南アフリカと住まいを点々とする今の人生にも苦労を感じません。ただしその点は私の妻(ヒロコ夫人)が1枚上。若いときに群馬県から単身飛び出し、オーストラリアで私と出会ってくれたからです」
――一方で、米トランプ政権の自国第一主義や英国の欧州連合(EU)離脱などグローバル化に逆行する流れも強まっています。
「振り子のような現象だと捉えています。急速なグローバル化が進んだことによる揺り戻しが起きています。外からきた人間に独自の文化が脅かされるのではないかという過剰な警戒心が芽生えています。でも振り子はまた振れるはずです。インターネットなどを通じて、世界の結びつきが強まるグローバル化の流れは変わりようがありません」
――日本製鉄の進藤孝生会長(一橋大)、三井住友銀行の故宿沢広朗専務(早大)、ゴールドマン・サックス日本証券の持田昌典社長(慶大)ら、有力経営者を輩出してきたのは日本ラグビーの特徴です。
「日本ラグビーの歴史をひもとけば、有力な大学伝統校を軸に発展してきた経緯があります。ラグビー経験者がビジネス界で活躍していることに意外感はありません」
「さらにラグビーは1チーム15人とプレーヤーの数が多く、極めて複雑なスポーツです。さまざまなポジションとそれぞれ果たすべき役割があり、その力をどのように結集して最大化するか。経営につながる面があるのかもしれません」
――日本企業や企業人への助言はありますか。
「経営者には明確なビジョンを掲げ、その実現に向けて旧態依然にとどまらない大胆な戦略を打ち出してほしい。日本企業にはかつてほどの元気がないように見えます。失うものが何もない戦後のゼロから出発したかつての企業人の、大胆な発想や経営が日本経済の再建につながったはずです」
「シャチョー(社長)やブチョー(部長)の目を気にしたような、日本の会社員の長時間労働には違和感がありました。ラグビーの練習も同じですが、問われているのは時間の長さではなく中身と成果です。長時間労働とハードワークは似て非なるものなのです」
(聞き手は編集委員 佐藤大和氏)
エディー・ジョーンズ(Eddie Jones) 1960年、豪タスマニア州生まれ。現役時代のポジションはスクラム最前列のフッカー。ニューサウスウェールズ州代表などで活躍したが、国の代表入りは果たせなかった。引退後の1995年に東海大学のコーチとして来日。2001年豪州代表監督(03年W杯準優勝)、07年南アフリカ代表テクニカルアドバイザー(07年W杯優勝)、12年日本代表監督(15年W杯グループリーグ敗退、初の3勝)。15年イングランド代表監督(19年W杯準優勝)。家族は夫人と1女。