働きやすさの旗手、職育一体の居場所づくり 地方で探す働き方

静岡市清水区はサッカーのほか、漫画・アニメ「ちびまる子ちゃん」の舞台として知られる。清水港は木材の輸入で栄え、その加工業も古くから盛んだ。北川木材工業は窓枠やドアなど住宅建材のOEM(相手先ブランドによる生産)を主力とする。曽祖父が創業者である取締役の北川信央は33歳の若さで生産現場を切り盛りする。
北川はいま、静岡市内で働き方改革の旗手として注目を浴びつつある。4月に市内の中心部で、社外の働き手も利用できる、託児所を併設した多機能拠点「いちぼし堂」を開いたためだ。ここにたどり着くまでの人生は波乱続きだった。
■波乱続きの人生
「最初に人生観を変えた出来事は高校2年生の時だった」。大好きなサッカーによるけがで4〜5カ月間入院した。その間にうっすらと「将来学校をつくりたい」という願望が浮かんだ。自由放任で育ったせいか長期入院でも気持ちはすさまなかったという。「母親は勉強しろと一言も言わなかった。それが良かったんでしょうね。そんな教育方針を伝えたかったというのがその時の思いでした」
学校をつくるにはお金。ビジネスにも関われる公認会計士になろうと京都大学経済学部に入学した。だが、生来の気ままさと、京大特有の自由さは共鳴しないわけがない。「キャンパスライフを謳歌してしまいました」
■父の急逝、「継ぐより社会勉強を」
北川木材工業の作業場(静岡市清水区)
再び大きな転機が訪れる。大学2年の時、父親が倒れた。がんだった。「あんなに頑丈だった父親が見る見る痩せていった」。3カ月の闘病後、この世を去った。悲しみもつかの間、社長を誰が継ぐか問題になった。北川もあり得たが、母の攝子(せつこ)が止めた。「卒業しなさい、そして社会勉強しなさい」。その母が社長を継ぎ、現在も務める。
会計士は大学5年目で合格。京大は通算6年通って卒業し、大手監査法人に入った。英国や米国で磨いた語学を生かし、米国で上場する日本企業や海外企業の監査を任された。スーツ姿で東京・大手町のビジネス街を闊歩(かっぽ)していた。
■あっさり会計士捨てて家業に
実務経験を積み、いよいよ公認会計士として登録し、本格的に仕事を始めようと腕まくりする3年後。北川はあっさりその道を放り投げ、地元・静岡に戻った。
「地方にはロマンがあると思った。ポテンシャルがいっぱいあるんじゃないかと」。静岡は富士山や駿河湾など自然が豊かで、日本のほぼ真ん中に位置し、歴史に名を刻んだ今川家や徳川家にも縁が深い。東京では生まれないものが生まれるのではないか。そんな思いを抱きながら家業に入った。27歳だった。
■効率化に古株社員が離反
高齢者でも働きやすい作業環境を整えた
実質的な工場長となったが、旧態依然とした現場にがくぜんとした。効率化しようとすると、古くからの社員が離反し、何人もが去って行った。人手不足で納期に間に合わない緊張が高まり、社員同士のもめ事も増した。「社内の雰囲気は悪くなっていった」
解決策として新たな働き手を呼び込んだ。シニアだ。体力的に難しい作業は簡略化するなど、高齢者が働きやすい環境を整えた。熟練していなくても可能な作業にすれば若者もやりやすくなり、何より自信につながる。自然と働きやすくなり、従業員が定着するようになっていった。
■教訓生かし独自の「居場所」
「やっぱり辞められるのはショック。だからそういうことがないようにしたかった」。北川が次に目指したのが、誰もが利用できる「居場所づくり」だった。「『居場所』って、いい言葉じゃないですか。多層的で、多重的な価値観が出合える場所ができれば静岡にも魅力が出てくると思ったんです」
JR静岡駅近くの土地を買い、2階にサテライトオフィス、3階に東京から働きに来る人の一時居住施設、そして1階には託児所を併設した施設「いちぼし堂」を開業した。
北川木材工業の社員はもちろん、他社やフリーランスでも使える。託児所に預けて働くことが1つの建物で完結する。自社の社員7人、外部の契約者10〜20人が利用する。「いちぼし」は北川木材工業の屋号だ。「オンリーワン」の意味も込めた。
契約者の木下聡はNPOなどに資金調達について助言するファンドレイザーの仕事をしている。妻が育休から復帰したのを機に会社を辞め、フリーランスになった。自宅で仕事をするほか、2歳の子供を1階の託児所に預けていちぼし堂で働くこともある。ある日、いちぼし堂で子育て支援のNPOを運営する助産師、近藤亜美と打ち合わせ中だった。近藤は新たな支援施設を開くための資金調達について木下にアドバイスを求めた。
■協業支援へ縁結びも
木下は「家にこもりがちなフリーランスが、外に出てほかの人とつながるチャネルを増やせる」といちぼし堂を評する。まさに北川が目指す「居場所」としての使い方を実践する。北川はいちぼし堂の利用者に細やかに人をつなぐなど、事業機会を得られるように心を配る。東京の企業の社員が3階に滞在しつつ、2階で地元のフリーランスと協業する、といった仕組みも提案している。
近藤は母親支援の立場から「子供を育てながらやりたいことが実現できる場所。何かをやりたい人が、勇気を出して自分を追い込むことができる」と話す。
北川木材工業にはママ社員が多い。夫の転勤に付いていく場合もある。だが、富山や東京に引っ越しした女性社員がテレワークで現在も働いている。業務を見直して場所を問わず働いてもらえるようにした。「社員は会社の理念に共感してくれている人だから続けてもらいたい。それなら人に合わせて仕事を決めるべきではないか」。そのためには日ごろから業務内容を整理しておく必要がある。業務の透明性が高まる副産物も得られる。
■静岡を越境者の受け皿に
北川が働き方にこだわる根幹には地元・静岡の活性化がある。多様性を育み、交わる場をつくれば、人は創造力が磨かれる。そんな場所がある街なら「誰かに紹介したくなる」。「誰しもが、いまいる環境から(物理的にも心理的にも)越境したいと考えていると思うんです。東京から遠くない静岡はそんな人の受け皿になれるはず。そのための居場所になればいいなと思っています」。離れて働けるだけではなく、人のつながりを生むこともテレワークがもたらす効用だ。
=敬称略、つづく
(秋山文人氏)

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