転勤拒否、始まった冷遇 「家族と一緒」選びUターン

「本社での仕事に興味はないか?」。関東地方の大手スーパーの店舗で青果部門のチーフを務めていた鈴木雅博さん(仮名、39)はある日、上司からこう告げられた。
隣県の本社への異動内示。「栄転」の2文字が浮かんだ。本社で結果を出せば出世の道が開ける。入社から8年、中軸として実績を上げてきた自負もあった。
だが即答はできなかった。自宅から本社まで片道2時間以上。現実的には転居の一択だが、家族は反対するだろう――。
果たして、妻は自宅と自らの実家が近い現状を変えたがらなかった。長女も東日本大震災の激しい余震で情緒不安定になっていた。強引に転勤を選ぶことには二の足を踏まざるを得なかった。
「転勤した場合」「しなかった場合」。ノートに今後の展開や、自分の思いを書き連ねた。悩みに悩み、出した結論は「仕事より家族」だった。
「うれしい話ですが、転勤はできません」。1カ月後の面談で正直に答えた。上司は表情を変えなかった。
周囲の様子がおかしくなったのは、その直後からだ。何でも相談できた同部門の先輩は「時間がない」と、急に避けるようになった。他部門の上司もよそよそしくなり、話ができなくなった。店の中で居場所がなくなっていくように感じた。
鈴木さんが姉の結婚式で休暇を取った後の新年会では、酔った部長が「めでたい異動話を断って、くそ忙しい時に休みを取ったやつがいる」と大勢の前でぶちまけた。
隣接エリアの新規出店の準備など、仕事には真面目に取り組んでいたが、人事評価も下がった。「S」「A」「B」「C」の4段階で「A」未満はなかったのに、転勤を断った年に初めて「B」が付いた。転勤だけが理由かは知りようもないが、疑心暗鬼に陥った。
当時、自分が幼い頃に38歳の若さで亡くなった父親の年齢に近づいていた。父親は過労死だった。「転勤拒否だけでこれほど冷遇されて、頑張り続ける意味はあるのか」。迷いは深まった。
そんなとき、転職エージェントが紹介してきたのが九州の会社への転職だった。九州は自分自身の地元。思い切ってUターンも悪くない。
もちろん妻は「田舎は嫌」と反対した。だが長女は「パパと一緒がいい」と言ってくれた。ちょうどその頃、九州の実家で育ての親だった祖父が亡くなり、実家から「戻ってきてほしい」との声もあった。転勤を断った後の仕事に悩む夫をそばで見ていた妻も、長女の小学校進学に合わせて移住することに最後は納得してくれた。
「辞めさせてもらいます」。店舗の責任者に伝えた。だがその席上も、その後も、引き留めの言葉は一言もなかった。
九州で転職先に選んだのが副業OKのIT企業。空き時間は町おこしなどの企画に取り組み、直帰できる日も増えた。
もっとも先行きの安定感は大手にはかなわない。「転勤と引き換えの安定と、今の立場のどちらが良かったかはまだ分からない」と吐露する。
それでも今は家族と一緒にいる幸せを感じる。「お父さん、近寄らないで」。鈴木さんに長女が軽口をたたく。最近、口が立つようになった。子の変化に気づけるのも、父親を楽しめている証かもしれないと内心思う。
転勤内示から7年。「家庭を犠牲にしない働き方をしてきたと、将来伝えられるかな」と、嫌がる娘の頭をなでた。
文 伊藤仁士氏

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