アートは知的障害を超えるか 母親の試行錯誤始まる

知的障がい あるがままに(2)
重度の知的障害がある息子に生活の場をつくりたいと、NPO法人のクリエイティブサポートレッツ(浜松市)を立ち上げた久保田翠・理事長(57)。半生をたどる連載の第2回は「一番大変だった」という草創期についてだ。
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 横浜市で生まれ、静岡市で育った。建築士の父親と画家の母親は「人と同じ事をするな」という教育方針だった。
アートや建築にはもともとなじみがありました。東京の美術大学、大学院に通い建築や景観デザインを学びました。東京の街づくり会社に就職も決まりましたが、地方の街のあり方を東京で考えることに疑問を覚え、内定を辞退。故郷の静岡市に戻り、妹と一緒にデザイン事務所を立ち上げました。
1990年、28歳で結婚し、翌々年に第?子の長女を出産。育児に追われるなかで、経営よりデザインの仕事に専念しようと、事務所は妹に任せて、浜松市で父親の設計事務所に入りました。そして1996年、重度の知的障害のある息子、壮(たけし)を生むことになります。
 壮さんが自由に生活できる場を求め、障害児を持つほかの母親たちとともに「クリエイティブサポートレッツ」を設立。まず取り組んだのは子どもたちにアート作品を創作してもらうことだった。
レッツはボランティア団体としてスタートしました。お母さんの一人が場所を提供してくださり、みんなで子どもたちを連れてきてワイワイやっていました。学校が終わった後にお母さん同士でぺちゃくちゃ喋って、子どもたちは建物の中を走り回る。そんな楽しい空間でした。
「レッツアート」と称して、アート講座を始めました。絵画や音楽、ダンスなど、近所のアーティストたちにお願いして、講師になってもらうのです。壁に絵を描いたり造形ともいえないヘンテコなオブジェを作ったりと、やりたい放題でした。障害のある子だけでなく、たとえば引きこもりの子なども好き勝手に出入りしていました。
 障害者の創作を評価する「エイブルアート」と呼ばれる活動に注力。2002年には地元の浜松市で講演会などのイベントを主催し、展覧会も開いた。
エイブルアートに積極的になるにつれて、興味を持ったアーティストたちが次々と集まってきました。一方でお母さんたちのなかには、成長した子どもをちゃんと預かってほしいという方もいて、アートか福祉かの板挟みになりました。手伝ってくれる人がいないときは全部自分でやりました。
壮はまだ小学校に入ったばかりで体が小さく、会話もできませんから、アート講座には出られません。車の中に体を縛り付け、カーステレオをかけたまま、1時間も2時間も遊ばせていました。そのうち自分の排せつ物をまき散らし、車の中が便まみれになったこともあります。
他のお母さんから「久保田さん、何やってんの? 子どものために始めたのに、やってること違うでしょ」と問い詰められました。今振り返れば、このときが一番大変でした。レッツを辞めようとも考えました。
それでも何とか続けようと、2004年にNPO法人にしてスタッフを雇いました。行政に助成金を申請しましたが通りません。唯一認めてくれたのが外資系企業のフィリップ・モリスとファイザーでした。「あなたたちの活動は価値があるが、行政は(申請を)受け取らないだろう。それが分かるから、応援することにした」と言われました。
(安芸悟氏)

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